ミャンマー
SNS遮断、民間紙発行停止
死刑も含む厳罰も
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ミャンマーでクーデターを実行した国軍は3月14日夜、最大都市ヤンゴンの一部に戒厳令を出した。クーデターから1カ月半が経過しても続く市民の抗議デモに対し、力ずくで抑え込もうとする国軍の姿勢がさらに鮮明になった。ミャンマー各地では14日も治安部隊がデモ隊に向けて発砲し、人権団体の政治犯支援協会によると、1日の犠牲者数としては過去最多と並ぶ少なくとも38人が死亡した。
14日はヤンゴンでラインタヤ地区の22人のデモ参加者が死亡した。2月1日のクーデター以降、治安部隊に殺害された市民は126人となった。
3月15日は、デモに参加していた市民ら少なくとも12人が治安部隊の発砲で死亡した。前日には1日の犠牲者としては最悪の50人以上が死亡しており、クーデター以降の死者数はおよそ150人となった。
一方、国連のグテーレス事務総長は15日に声明を発表し、「悪化する暴力にがく然としている」と述べた。また、「状況を鎮め、民主主義に戻るために大切な要素」として、ミャンマー担当のブルゲナー特使の訪問を認めるよう軍に求めた。
3月16日、2日間で少なくとも94人が殺された。2月1日以降、183人が殺された。国軍はヤンゴンのラインタヤ地区と、隣接するシェエピタ地区の中国系の商業施設が襲撃されたのを受け、この2地区に戒厳令を出していた。軍はヤンゴンの6つの地区に拡大し戒厳令を発令。政府に不信をあおる行為、軍が虚偽と認める23項目。戒厳令に従わない場合、死刑、過酷な労働を含む無期懲役と厳しい態度で臨む。軍法会議は1審制で、上訴を認めない。第2の都市マンダレーにも発令。
1日で70人
が殺された
3月16日、現地の人権監視団体「政治囚支援協会」によれば、この日だけで死者は70人を超え、その大半はラインタヤ郡区での死者だった。ヤンゴンのラインタヤ郡区の住民の多くは地方からの出稼ぎ労働者だ。事態を受け、トラックやバイクに家財道具を積み、家族と共に脱出し、故郷へ帰る人が相次いだ。その数数千人と言われる。
国民民主連盟(NLD)議員らが結成した「連邦議会代表委員会」(CRPH)は国内で事業展開するマレーシア、フランス、韓国、タイの石油・ガス企業に対し、国軍への税金の支払いなどあらゆる取引を絶つよう通告した。
3月16日インターネットが遮断され、民間の新聞紙が発行停止にされた。3月17日、ミャンマー仏教僧侶の最高管理組織「サンガ・マハ・ナヤカ委員会」(通称マハナ)は、クーデターに対する抗議デモ参加者への暴力行為を停止するよう国軍に要求したほか、無実の市民らを拷問したり殺害したりしているなどとして非難した。
3月18日ミャンマー軍は国連大使を反逆罪で訴追した。
民衆は屈せず
闘いつづける
戒厳令が出されたヤンゴンのラインタヤ郡区での闘いを海外特派員が次のように伝えている。
「3月16日夜、ヘルメットとガスマスクを着用し、盾を手にしたデモ隊は区内の主要道路に通じる橋に陣取り、タイヤや木材、土のう、竹ざおなどでバリケードを築いた。一部のバリケードは燃やされ、閑散とした通りに黒煙が立ち込めた。まるで戦場のようであった」。
軍は戒厳令により、直接軍部隊を全面に出し、無差別殺人により、抗議行動の押さえ込みにやっきとなっている。民衆はそれでも厳しい弾圧に立ち向かっている。闘うミャンマー人に支援を。 (M)
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